待ち遠しい毎日

日々の生活にまつわるちょっとした事を、少しずつ変えたり見直したりしている。春なので。

そのうちの一つが、マンガの読み方だ。僕は、いわゆる単行本派で、マンガは単行本が発売してから、まとめて読むようにしていたんだけど、いくつかの作品を、連載を追いかけて読むスタイルに変えてみた。最近は、雑誌が電子化されていたり、Web連載があったりで、作品を追いかけるのも簡単だし、そもそも、僕は気に入った作品は、何度も繰り返し読む習性があるので、事前に内容を知っていたとしても、これまでと変わらず単行本も楽しめるはず。

作品によって掲載媒体が違うので、更新日を忘れてしまいそう。そこで、今週は火曜日にこれ、木曜日にこれ、来週は金曜日に・・・、みたいな感じで、いくつかの作品の更新日をカレンダーの繰り返し予定に入れてみた。リマインダーとして素朴にスケジュール登録しただけなんだけど、出来上がったカレンダーを眺めていると、なぜかわくわくする。

そうか、ここには、毎日の楽しみが可視化されているのだ。

これまでは半年分くらい募らせていた楽しみを小分けして、毎日の生活のなかに割り振ることで、日々の生活サイクルに程よい楽しみのリズムが生まれた。ちょっとしたことで、毎日の楽しみは作れるものだ。

ネタバレなし

僕ヤバを読んでいて、中学受験のことを思い出した。

僕の住んでいた地域の公立中学は、男子は丸刈りにすることが校則で定められていて、それがどうしても嫌だから私立中学を受験することにしたんだけど、今思えば、僕の学力では無謀な挑戦だったと思う。僕はもともと頭が良いわけでもないし、それを補うに値する努力も足りていなかった。当然のことながら、結果は不合格だった。

受験に落ちたことはショックだったけど、それ以上につらかったのが、クラスメートに「落ちた」と伝える勇気が持てなかったことだ。僕のクラスからは3名が受験していて、クラスメートは僕が受験したことを知っている。合格者発表の日が来て、他のクラスの誰々が合格したらしいというような噂が、少しずつ校内に湧き上がるにつれて、そういえば、こいつはどうだったんだろう、という視線が僕にも向けられるようになってきた。

僕が全くその話を切り出さないものだから、まわりのクラスメートは、やきもきしたのだろう。ある時、受験の結果はどうだったの?と聞かれた。受験の挫折感とその場の居心地の悪さから、胸が苦しくなって、僕は言葉に詰まってしまい、思わず泣いてしまった。その反応から結果を察してほしいところだけど、当時のクラスメートには分からなかったのか、それとも僕の口から「落ちた」と言わせたかったのか、それからも何度か聞かれることになった。

聞かれたくないし、言いたくもない。でも、言えないから居心地が悪いのだ。言ってしまえば、居心地は悪くなくなるのだけど、惨めな気持ちと恥ずかしさで、言う勇気が持てない。そんな時、思いつめた僕に気を配りながら、ある友人はこう尋ねた。

「ねえ、来年からも、僕たちと一緒に学校行けるんだよね?」

僕は泣きそうになりながら「うん、そうだよ。」と答えることができた。言わなきゃいけないと思いながらも、ずっと言えなかったことを、こうして打ち明けることができた。彼の質問によって、心の中に重くのしかかっていたモヤモヤはスッと晴れたし、不安でいっぱいだった進学についても、前向きに捉えることが出来るようになった。言葉の力はすごい。

結局、その友人とは、中学、高校、そして大学まで同じ学校に通うことになり、大学2年の時にテレビ版エヴァンゲリオンを録画した僕のビデオテープを借りパクしたまま、彼は消息を断った。

井上くん、元気にしていますか。ビデオテープは返さなくていいから、また話をしたいね。エヴァンゲリオンのネタバレはありません。

公私不可分

深夜、作業をしていたら、友達がゲームのライブ配信をしているのを見つけて、気分転換に視聴してみた。ヘッドホン越しにでも、しばらく会えていない友達の声を聞くと、それだけでうれしいし、懐かしいし、身近な感じがして、ライブ配信やポッドキャストは良いものだなと思った。

YouTubeとかポッドキャストとかライブ配信とか、これまでは、不特定多数に向けた情報発信みたいな印象が強かったんだけど、自分の身の回りプラスアルファくらいの範囲を意識して、お便り的に何かを発するみたいなスタイルもあるよなーと実感した。

コロナ禍でのWFHを通じて改めて感じたのは、仕事などのパブリックな側面とプライベートは不可分であるということ。これまでは職場など、場所によって行動に制約を課すことで、それらが線引きできているかのように思えていたが、実際はそんなに単純なものではなかったのではないか。そこにいないということで、対応の優先度を落としていただけではないか。

これからは、公私、そして様々なコンテキストを、切り分けるのではなく、全部引き受けながら、なめらかに社会とつながるみたいな、そんなライフスタイルやコミュニケーションのあり方が必要になると思う。プライベートに身を置きながら、声を通してパブリックとつながることもその一つだと思うし、これまで当たり前のように使っていた仕組みやサービスなども、見方や使い方を最適化することで、新しい世界が広がりそうに思えた。いろいろ模索していきたい。

それにしても、公私の不可分について考えさせてくれるきっかけとなったのが「距離」による制約だったというのは興味深い。前提となる制約が変わることで、初めて見えてくるものもある。

デザイングループのデザイン

デザイングループのデザイン

はじめに

組織づくりの話を聞きたい。そう言われることが増えてきました。

世の中にはいろんな会社があって、そこにはいろんなデザイナーが働いているわけですが、デザイナーの制作物や、チームでの個別の取り組みについて、話を聞くことはあっても、その前提となる組織全体の枠組みについては、突っ込んだ話を聞く機会が少ない気がします。

しかし、普段意識している以上に、僕たちの振る舞いは、身を置く環境の有り様に影響を受けています。あの会社が精力的にイベントを行っているのも、あのデザイナーが積極的に情報発信をしているのも、その根底には、それを後押しする組織の文化や思想があります。つまり、組織について知ることは、それを構成する人や取り組みについて知ることでもあります。そう考えてみると、組織づくりの話というのは、組織を作る人だけでなく、組織に属する人にとっても、有益なものなのかもしれません。

僕は、はてなのデザイナーが所属するデザイングループという組織で、プレイヤーとしてものづくりをしつつ、マネージャーとして組織づくりにも関わっています。最初は、そもそもグループの意義って何なんだ?という素朴な疑問について考えるところからスタートしましたが、日々、あれこれ考えたり、試行錯誤をしながら、より洗練されたかたちを目指して、今日も運用を続けています。まだまだ完成形は見えず、道半ばという感じですが、なかなか話す機会が無かった組織づくりについて、これまで考えてきたことを、ここにまとめてみようと思います。

組織づくりって一体何をやればいいんだ

事業やサービスの成長を目的とする開発グループと違って、職能グループはどういう目的を持つべきなんだろう。グループの枠組み作りは、まずはその目的に向き合うことから始めました。

はてなのデザイナーは、組織図上、サービス開発を行うグループと、デザイナーが集まる職能グループの両方に所属しています。基本的に、僕たちがこの会社で働く一番の意義は、ユーザーにとって価値があるサービスを作ることにあると思っているので、各々のリソースは、極力そこに使ってほしい。そのためには、デザイングループに所属することで業務上の負荷が増えるということは極力避けたい。追加の業務が降ってくる場所ではなく、所属することでメリットが得られる場所に出来ないか。

そして行き着いたのが、職能グループは「日々の業務を通じて成長できる仕組み」である、という考え方でした。グループの目的を、会社への直接的な貢献ではなく、メンバーの成長に置いたことで、所属するメンバーにとってメリットのある場所であると定義づけようと思いました。

成長できる仕組みについて

では、どうしたら成長できるんだろう。

仕組みとして機能させるためには、成長のメカニズムを明らかにして、それをルール化しなければなりません。そこで、まずは成長のプロセスを3つの要素に切り分けました。

1. 理解
2. 実践
3. 定着

さて、これをどのような手段で実行していくか。

本を読んだり、手本をなぞったり、練習したり、成長の手段はいろいろあります。これは個人として研鑽するための手法としては良いのですが、グループとしてこれを強制してしまうと、成長のための業務が増えることになってしまいます。業務上のリソースは、極力、サービス開発に向けて欲しいという前提を置いているので、これは最適な手段ではありません。この前提を元にして成長する仕組みを作るなら、業務を通じて成長してもらえるような機会を整えるという温度感が適切で、その点も考慮しなければならないと思いました。

1. 理解(価値観の共有)

成長するには、闇雲に進むのではなく、どうなりたいか、何をやりたいか、というような、目指すゴールについて、自分の中でイメージが持てることが重要です。自分はデザイナーとしてどういう在り方を目指すのか。そのために、どういう観点でデザインを捉え、どういったスキルを伸ばしていけば良いのか。

スキルに関して考える上で重視したのは、個別の知識や技術を軸にするのではなく、デザイナーという職能の普遍的な機能を価値軸として提案することでした。技術やツールが日々革新される現在においては、個別の知識・技術にフォーカスしすぎると、トレンドや環境変化に左右されやすいと思うからです。

デザインには、日々業務として関わっているWebサービスのみならず、多様な文脈で、長い歴史を経て育まれてきた普遍的な価値観や発明の蓄積があります。グループの中心に据える価値軸の抽象度を高めることにより、Webサービスという分野に限定したデザインではなく、より大きな視点で、デザインという文脈に目を向けてほしいと思いました。

以下は、業務の流れをベースにしながら、デザイナーという職能の機能を分解したものです。

課題・目的を見極め
アイデアに姿を与え
その要件を体系化し
具現化する事により
人々に価値を届ける

もちろん、これ以外にもデザイナーの職はいろいろな視点がありますが、業務を通じて成長をする仕組みなので、実際の業務スタイルに沿った要件に絞り込んでまとめています。これをグループの価値軸としてより強固に結びつけるため、人事評価の際の専門スキルの評価軸としました。

課題・目的を見極め → 企画
アイデアに姿を与え → 表現
その要件を体系化し → 設計
具現化する事により → 技術
人々に価値を届ける → 影響

今回は組織づくりに関する話題なので、個々の評価軸の詳細については触れませんが、執筆時点ではこのような構成になっています。

これで、プロダクト開発において、どういう観点・スキルでデザインの専門性を発揮すればよいかという軸が定まりました。ゴールに向かって、どのような歩き方をすればよいかという型が提供されたので、次は、どのようなゴールを設定するかです。

これに関しては、憧れのデザイナーのキャリアパスや制作物を意識するのが分かりやすいと思いますが、やはり、同じ環境に身を置くデザイナーから刺激が受けられるとスムーズです。どういう取り組みや価値観を良しとするか、その指標やヒントをグループから提供できないか。その一助とするべく始めたのが、ベストデザイン賞です。

ベストデザイン賞

ベストデザイン賞は、半年に一度、その期に発表されたサービス、グッズ、コーポレートツールなど、デザイナーが関わったあらゆる制作物から、最も優れたデザインとその取り組みを選出する取り組みです。優秀作品には、納会の壇上にて表彰を行い、グループウェアを利用して、全社にその講評を公開します。品質の高いデザインを見て刺激を受けるだけでなく、同じ環境でデザインをする仲間が、工夫したり、こだわったポイントを知ることが出来るので、日々の業務を行う上で参考にしやすく、自身のスキルアップに活かしてもらいたいと思っています。

ちなみに、この賞では、サービス・事業的なインパクトの大小や影響度ではなく、クリエイティブの品質やデザイン活用のアイデア、取り組みの先進性など、デザインにフォーカスした価値軸で選定を行っています。そのため、大型プロダクトを退けて、細かな見え方の改善が大賞を受賞することもあり、毎回、どのデザインが受賞するのか、目が話せない展開となっています。

2. 実践(挑戦と成長の後押し)

目指すところ、やりたいことが見えてきたら、今度は業務を通じてそれを実践するステップです。

経験豊富なデザイナーの元で下積みをし、その仕事を間近で見ながら一人前になっていく、みたいな話をよく聞きますが、技術を習得しようとする場合、徒弟制度のような仕組みは有効だと思います。知識や技術を、実戦の中でどう活かしていくかは、やはり座学よりも、時間と文脈を共有する師匠の日々の振る舞いの中から学べる事が多く、有効な師弟関係を業務の枠組みの中でいかに構築できるかも、実践の仕組みを作るうえで、大きなポイントになりそうです。

日々の業務を通じて成長するためには、業務上の試行錯誤や制作に対して、自分に近い立場から、議論をしたり、模範となるべき振る舞いを見せてくれる、師匠のような存在が居てくれると、目の前の仕事が、無味乾燥な作業ではなく、挑戦のための有用な機会になります。

かつて、はてなでは、デザイングループ全体を対象として、サービス横断のデザインレビューを行なっていた事もあるのですが、なかなか深い議論に発展させる事が難しく、サービスの特性までは踏み込まない、基本要件のレビューのようなものになっていました。精度の高いレビューをするためには、それぞれのサービスやメンバーに対する深い理解が必要になるので、自分の担当と異なるサービスをレビューする場合など、どうしても本質まで踏み込んだ議論がしにくいのです。

しかし、前提を共有する者同士であれば、踏み込んだ議論ができます。サービスに対して、自分より深い理解を持ち、経験も豊富な師匠であれば、レビューを通じて、これまでに無かった視点を与えてくれるでしょう。自分と近い立場にあって、日々取り組んでいるテーマの文脈を共有している事は、業務を通じて成長できる師弟関係を構築する前提として、とても重要です。

では、誰が師匠になるかですが、各サービスのリードデザイナーにその役割を担ってもらうことにしました。はてなでは、サービス毎に、リードデザイナーという役割を置いています。これは、サービスデザインの一貫性と品質を担保することを目的とした制度ですが、リードデザイナーは、デザインレビューなど、業務を通じて他のデザイナーと接する機会が多く、日々の成長を後押しする役割として適任だと思いました。

3. 定着(場と機会の提供)

日々の試行錯誤は、客観的に整理することで、経験を自分の中に定着させることが出来ます。自分なりに悩み、工夫を重ねた経験の蓄積は、何者にも代え難い成長の糧となります。プロダクトの制作が一段落した頃に、制作について悩んだり工夫したことを振り返り、自分の経験として定着させる機会があると良さそうです。

振り返りは、自分だけで行うのも良いですが、やはり、誰かに見てもらい、聞いてもらい、その反響を受け取ることが、モチベーションの向上に繋がります。また、第三者に説明する前提で整理することで、内容を客観視出来て、定着の精度も上がります。なので、グループとして、第三者に向けて日々の試行錯誤をアウトプットする場と機会を提供することで、メンバーの経験の定着を後押し出来ないかと思いました。そのための仕組みが、定例イベントデザイングループブログです。

Hatena Design Hour

定例イベントは、Hatena Design Hour といいます。このイベントは、プロダクトの背後にある、ものづくりの試行錯誤や創意工夫の物語にフォーカスし、作り手の口から、そのプロダクトの見どころやデザインのこだわりを語ってもらおうというイベントです。GMOペパボさんと共催したデザイン山アワーも含めると、もう9回も続く定例イベントとなっています。

なお、Hatena Design Hour のコンセプトについては、以前、ブログ記事にまとめていました。よければ合わせてご覧ください。

mnnr.hatenablog.com

デザイングループブログは、はてなデザイングループの情報発信の場として運営しています。イベントの情報をお知らせしたり、はてなが関わったプロダクトをポートフォリオとしてまとめたり、デザイナーの取り組みを集約する場所として位置づけています。メンバーは、ここを、日々のデザインに関するアウトプットに利用することが出来ます。

デザインに関する知見のアウトプットを、個人ブログで書くべきか、会社のブログで書くべきか、という議論はあると思いますが、個人的には、どちらでも良いと思っています。ただ、業務で制作したものについてまとめる時には、社内外の関係者にチェックを依頼するなどの事前準備が必要になるので、予めレビューの仕組みが整備された会社のブログで書けるとスムーズかなと思います。

なお、デザイングループブログは、具体的なデザイン事例の話だけでなく、メンバーの関心事など、気軽に読める内容になっていますので、ぜひ読んでみてください。

design.hatenastaff.com

成長のサイクルをまわす

このように、成長のプロセスを、理解、実践、定着と分解し、いろいろな施策を考えては、あれこれやってみています。しかし、個別の施策以上に重要なのは、プロセスの一部に人事評価と賞という会社の行事が組み込まれていることで、理解→実践→定着→理解・・・と、半年周期で成長のサイクルがまわり続けるようになっているところだと思います。

成長のサイクルが6ヶ月で一回転する

ゴールを見極め、試行錯誤や挑戦を行い、それを振り返ることで定着させ、より高いゴールを目指していく。目の前の仕事を、ただ繰り返すのではなく、半年ごとに、そういった視点でもって業務に取り組むことで、特別な学習の機会を設けずとも、業務を通じて成長することが出来る

まだまだ理想を完全な形で実現できてはいませんが、そういった仕組みになるよう、これからもブラッシュアップを続けて行きたいと思います。

最後に

あなたの組織づくりの話も聞きたいです。よかったら聞かせて頂けませんか。

今回の内容は、以前、Hatena Design Hour #5 にて、「デザイングループのデザイン」というテーマで発表をさせて頂きました。スライドは以下にアップロードしていますので、よければこちらもご覧ください。発表用スライドなので、注釈がないと分かりにくいかもしれませんが。

データの質感

情報にもモノと同質の「所有する喜び」があって良いんじゃないか。

本も、ニュースも、音楽も、デジタルデータとして購入する事が多くなった。かつては、発売日にお店まで時間をかけて買いに行ったものだけど、今や、どこにも出かけること無く、ダウンロードで手に入れる事ができる。場所も取らず、楽しんだ後に保管する場所にも困らない。購入や保管に関する様々な面倒から解放されて、気軽にコンテンツを楽しむ事ができる。これは、とても大きな環境変化だと思う。

しかし、音楽というコンテンツだけでなく、音楽を記録した媒体やブックレットなどの付属品まで含めて、パッケージとして「音楽を買いたい」と思うことがある。僕たちは、データとしてコンテンツを買うようになってから、コンテンツ以外の要素からも何らかの満足を得ていたことに改めて気づかされた。

モノは手に取ることができる。コンテンツそのものに対する感動とは別に、手触りから伝わる喜びがある。それに対して、データは愛着や所有する喜びが希薄だ。データは手に取る事ができないから、所有している実感がない。もし、モノへの愛着が、対象を手に取ることによって生まれる感情だとしたら、形を持たないデータには、愛着を感じることは無いのだろうか。

僕たちは、コンテンツを体験することで芽生えた感情を、触れる、など、また別軸の身体感覚から刺激が加わることで、その印象をより強固なものにしているのかもしれない。音楽というコンテンツを体験し、パッケージやブックレットを手に取って、モノとしての質感を身体的に感じることで、その体験、心の動きが身体的に強く印象付けられ、愛着が生まれる、という感じ。だとすると、コンテンツに、何らかの質感が伴っていることが、愛着を感じる一つの要件であると考えることが出来る。

では、質感とは何なのか。もし、質感が、手に触れる、目で感じる、など、身体的な知覚行為そのものではなくて、その結果、心に生まれる感覚を指すのであれば、モノとしての形を持たなくとも、そこに質感が生まれることはありそうだ。例えば、昔好きだった音楽を久しぶりに聴いた時、その当時の思い出や感情が強烈に蘇ってくることがある。その当時の身体的な感覚が瞬間的に戻ってくるような、そんな感じ。情報としての記憶というより、もっと質感を伴ったものだ。この音楽をライブラリから削除しなければならないとしたら、何かしら、躊躇する気持ちが芽生えるんじゃないか。その感情は、愛着とはいえないだろうか。

形を持たないものが身体的感覚をもたらす例、他にないかな、って思ったら、テレビゲームがそうだった。ゲームは情報によって描写されるもので、実体を持たない。なのに、高い所から落ちると、ゾッとするし、危うい足場を行くときは、思わず手に汗を握る。急カーブを曲がるときには、なぜか身体が横に傾いてしまう。『桜井政博のゲームについて思うこと』で、桜井さんが「画面上の何かを操作できる。ただそれだけで、本当は重たさも何もないところに生理感覚を作る」と表現されているけど、ゲームは、視覚的にコンテンツを楽しむのと同時に身体感覚も伴っている。

モノでなくても、そこに質感は生まれるし、愛着も生まれる。情報にも「所有する喜び」が生まれる余地はある。情報そのものに対する評価や感情も重要だけど、同時に、その感情を定着される何かが設計されているかどうかが、ポイントになるのかもしれない。

Everyone, Creator のその先

アルバイトして買った20万円のシンセサイザーで音楽を作って、それをカセットテープに録音した。でも、無名だから、ただテープを配るだけでは興味を持ってもらえない。直感的に欲しいと思ってもらえるように、せめてジャケットデザインをかっこよくしたいと思った。そうして、僕はデザインを始めた。

かつてはものづくりをするにも、広く自分の制作物を世に広めるにはハードルがかなり高かった。作るための道具を揃えるには、それなりのお金がかかったし、発表の場を求めるにも、プロフェッショナルとアマチュアの世界が明確に区分されていて、まずは、コンテストやオーディションをパスして、商業ベースに乗せる必要があった。自主制作で同人やインディーズとして活動するなら、作品を自分で広めていくのに、大きなコストが必要だった。

だから、Google Chromeの初音ミクをフィーチャーしたCMがテレビという日常生活の1シーンに流れた時、誰もが表現者となり、世界中の人々にそれを届ける事ができる新しい時代の幕開けを実感し、感動した。誰もが自己表現でき、それを世に問う事ができる。そして、誰もが世界中のまだ見ぬ才能や作品に出会う事ができる。好きなこと、好きなものをとことん楽しめる時代。僕も微力ながら、そういった未来の実現に少しでも関わりたいと思って、日々のサービス開発に取り組んできた。自分がそこにどれだけコミット出来たかは別にして、確実に世の中の環境は変化してきたと思う。

作る手段(ツール)、発表の場(サービス)は無数に提供されるようになった。そして、作品を楽しむ環境(デバイス・インフラ)は整っていて、世界中で多くの人が、魅力的な作品に出会えるのを待っている。作品を通じて自己表現をしたいと思う人達にとっては、素晴らしい時代だ。何かをやりたいと思ったら、あれこれ準備をしなくとも、すぐに衝動のままに動き出すだけで良い。環境は十分すぎるくらい整っているんだから。

いまや、スマートデバイスの普及と通信インフラの充実に下支えされ、誰もが自分の想いを世界中の受け手に発信できる時代だ。大量のコンテンツが流通する世の中では、いつでもどこでも、スマホを見れば、楽しいコンテンツが溢れている。テキストを読んで、マンガを読んで、音楽を聴いて、動画を観て、ゲームをやって、コミュニケーションして、いつまでも楽しんでいられそうだ。

しかし、身の回りを行き交う情報量は増えても、僕たちの可処分時間は無限に増やせるわけではない。限られた時間の中で必要としている情報にいかにスムーズに出会えるかが、これまで以上に重要になっている。見たくないもの、楽しめないものに、貴重な時間を使ってはいられない。

世の中を見渡せば、作る場はまだまだ増え続けていて、コンテンツの洪水は止まらない。だからこそ、いま必要なのは、情報をより適切な形で人々に届ける仕組みなんじゃないか。必要としている人が、自ら探して回るまでもなく、必要なコンテンツ・情報が目の前に現れる、そんな仕組み。編集によって、それを整理しようとする試みが雑誌やニュースサイトのようなメディアだと思うけど、他にも様々な切り口が考えられそうだ。もっともっと、そういう仕組みが増えてほしいし、もっともっと洗練されてほしい。作ったものが、コンテンツの洪水に紛れてしまい、本当に届くべきだった受け手に届くこと無く、埋もれてしまうのは、本当にもったいない。

人々を取り巻く情報は社会のムードを作る。ムードは社会の未来を作る。だからこそ、自分が出会うべき情報、必要としている情報に正しく繋がることが重要である。情報を届ける仕組みを整備すること、そこに、社会、未来をより豊かに変える1つのチャンスが眠っているんだろうなあと思う。

1円の価値

そういえば、1円の買い物ってしたのって、生まれて初めてかもしれないな。

1円ってお釣りとして受け取るだけで、1円の商品を買った事は、多分、これまでにない。レジで1円を請求された時、僕は何となく新鮮な気持ちになった。

リニューアルした『広告』の創刊号は1円。この号は、価値について特集している。当然ながら1円以上の価値がある骨太な内容。取引の本質は価値の交換だと思うけど、価格=価値ではないと改めて気付かせてくれる試みで、とても面白かった。

鹿くんがよく「並盛と中盛と大盛が同じ料金なんて絶対おかしいよ」ってつぶやいているけど、蕎麦の原価なんて高が知れてるし、作るのも簡単で調理に費やす労力も変わらないのだから、同じ料金にして客に喜んでもらう方が良いという判断だろうか。コストの総量が価値ではなく、蕎麦を食べる満足感が価値として提供されるので、その対価は一律であるという考え方もできる。価格って面白い。

以前、通販会社でバイヤーをしていた時、「価格はメッセージだ」と社長に教えられたことがある。例えば、999円という値段には、1000円を切りましたよ!というメッセージが込められている。4桁で当たり前なのに、3桁の領域まで押し下げてきたインパクト。単純に原価に一定の利益率を乗せたものではないし、すると、もしかすると原価は999円を超えていて、赤字なのかもしれない。でも、この値段を提示することに意義がある。百均も分かりやすい事例だ。原価にはかなりバラツキがあるけど、いろんなものが全部100円、ワンコインで買えてしまうんですよ、というのがメッセージであり、事業コンセプトの主軸にもなっている。

価格について向き合うことは、価値と向き合うことだ。提供される価値に対して対価を払う時、そこではどのような価値の交換が行われているのか、考えてみると面白い。