そのスタンス

敢えて苦手な球技に例えてしまうくらい、感情を揺さぶられてしまったのだけれど。

全力で振りかぶって投げないからこそ、遠くまで、そして、誰かの側まで届く、みたいな、球の投げ方もあるなあと思った。

肩の力がすっかり抜けたような自然体で軽やかに投げられた球は、スピードは出ないかもしれないけど、案外遠くまで、そして、ど真ん中に届く事がある。とても抽象的で、何を言っているのかという感じだけど、そういうふうに感じてしまった。整理して論理的に伝えることもできそうだけど、陳腐になりそうだから、このままにしておく。とにかく、感動したんですよね。そういう球が届いたことで。

これまでは、とにかく良いものを作りたいと、作れるようになりたいと、そればかり考えて来たけど、時にはそこから一歩引いて、スタンスとか、在り方とか、そういうことに意識を向けてみるのも良いものだと感じたりした。

僕は、まだまだ全力で振りかぶって投げている。まずは肩の力を抜いて投げられるようになりたいものだ。

誰かのスタンスに影響されながら、僕たちのものづくりは少しずつ変わっていく。多分、そういう事の繰り返しなんだろうな。

書くテーマ

ページをシェアするんじゃなくて、文章そのものをシェアしたい。些細な違いかもしれないけど、そんなこだわりがあっても良い気がする。

僕はこのようにブログを書いてはいるけれど、コンテンツの集合体としてブログを運営していこうみたいなモチベーションがあまり無い。例えるなら、本を綴っているのではなくて、一枚の紙に走り書きしているような感じ。その時々で、思ったこと、感じたことを、文章として書き出すことが出来ればそれで良いというような、割り切った感覚で使っている。

そんなスタンスでやっていると、記事を書いてそれをシェアする時、ブログタイトルがドンと入って、様々なページへの導線があって、ブログの全体の雰囲気を決めるデザインがなされていて、みたいな、ブログの一部としてのページは、シェアする対象としてちょっと重く感じたりする。記事を見せたい場所なのに、記事そのものよりブログタイトルを含むヘッダ部分のほうが、情報設計上、高いレベルになっている事への違和感だろうか。このブログがどういうタイトルだとか、どういうテーマなのかは、この際どうでも良くて、僕は、いま書いたこの文章だけシェアできれば、それで十分なんだ。

だから、このブログはものすごく割り切った見せ方にしている。余計なものはなく、文章をただ、丁寧に書けて、丁寧に見せる、そんなデザインを目指してみた。

有り難いことに、このデザインでブログを書きたいという要望を頂いたので、はてなブログのテーマストアで公開することにする。整然と記事が並ぶ書籍ではなく、書き散らかした文章が雑然と積み上がっているような、偏ったデザインのテーマだけど、興味がある方は使ってみて欲しい。

まだまだ改善の余地はあるけど、盆栽を愛でるようにじっくりと育てていきたい。

後ろを振り返る

終わっていく感じがする。

やりきった事、やり残した事、いろいろあったけど、とりあえず一区切り。今日は、会社の納会に参加しつつ、今期の自分を振り返ったりした。この半年は、アートディレクターという役割を制度化したり、デザインイベントをペパボさんと共催したり、デザイン賞の枠組みを作ったりと、様々な取り組みが出来た。大変だったけど、頑張ったなー。自分を褒めてあげたい。地味な裏方仕事なので誰かが褒めてくれるものでもないから、とりあえず自分で褒めておく。

でも、周りには、僕より大変だったり、頑張った人がいるわけで、それを見ると、自分のやった事なんて大したことないなあと複雑な気分になったりもした。こういう事は人それぞれで、他人と比べてもしょうがないんだけど、まあでもそういう気分なのだから仕方がない。インスタント沼でも観て、気持ちを切り替えよう。水道の蛇口を捻れ。

そう言えば、友人が7年勤めた会社を退職をされたようで、今日が最終出社日だったらしい。彼は、デザイナーとしての高い能力と豊富な経験を元に、数々の若者にデザイナーとしての道を示して来られた。同僚たちに別れを惜しまれつつ見送られる様子をネット越しに見ながら、彼がその会社に遺してきた痕跡の大きさに思いを馳せた。お疲れ様でした。そして、近々飲みに行こう。

そんなこんなで、いろいろありつつも、明日からは新しい期です。

10,000

以前、Koushiki Sansというフォントを作ったことがあって、趣味活動としてウェブサイトを作って配布していたのだけど、気がついたら10000ダウンロードを超えていた。面白がって作った個人的な制作物が、それだけ多くの人に届いたのは感慨深いし、嬉しいし、興味を持ってくれた人たちへの感謝の気持ちでいっぱいだ。

このフォントを公開した時、周囲の知り合い10人くらいが使ってくれればいいかなというくらいの感覚だったんだけど、蓋を開けてみると、日本だけでなく、海外からもダウンロードリクエストが届いて驚いた。海外を意識してものづくりをしたわけではない。日本国内で、日本語の思考回路で作ったものを、日本人を相手に配っている感覚だった。それが、ここから遠く離れた海外の人々の所まで届いた。最初は、不思議だなーと思っていた。

先日、PPAPがギネス認定されたときの記者会見でピコ太郎さんが「あとから気づいたんですけど、歌詞が英語だったんですね。」と仰っていたのを見て、あっ、これだ、と思った。僕も、作ったものがたまたま英語(アルファベット)だったから、勝手に言語の壁を超え、国境を越えて、想像していた以上に遠くまで届いたんだな。これは不思議な体験だったし、グローバルなものづくりって、案外こういう事なのかも知れないなとか思ったりした。

現在では、半分以上が海外の方からのダウンロードリクエストだ。そこには、フォントへの期待や感謝の言葉とともに、どういう用途で使いたいのか、メッセージが添えられている場合が多い。工業製品やソフトウェア、映像作品や音楽のCD、ポスター、グラフィックツールなど、プロフェッショナルの仕事の現場で。ポートフォリオや作品の制作など、未来のクリエーターが才能を研鑽するアートスクールで。カードづくりやカレンダー、アルバムの素材など、家庭の生活シーンの中で。メッセージによると、世界中の様々な場所で、このフォントが使われているらしい。想像するだけで夢が広がる。

フォントはフリーだけど、これを公開した事で得られた経験は、お金に換えられない価値があると思っている。ホント、作って良かったな。

飴とバブ

居酒屋を出る時に、お口直しにどうぞ!と籠いっぱいの飴を差し出されるのはよくある事だけど、今日はそう言って差し出された籠の中にバブが入っていた。

気持ちの良い風呂にでも入って、ゆったりして下さいねという事だろうか。口直しにはならないけど気が利いている。

僕のポケットにバブが入っているのは、そういう経緯によるものだ。